自分History episide17

~友達になってくれたYちゃん~

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前回の続きになります。

 

私がバレー部で同級生からシカトされ続け

何かを感じてくれたのでしょうか

帰り道、一人で歩いていたら

同じクラスで陸上部だったYちゃんが私に声をかけてくれました。

すごく気さくに話かけてくれたのです。

Yちゃんは頭が良くて、いつも一緒にいるメンバーも

全員頭が良くて優秀なグループにいる子、

という印象の人でした。

自分とは全く別世界の人。といった感じです。

 

だけど、その日から部活の帰りはいつもYちゃんと帰るようになりました。

私が元気なさげに歩いていたのが、気になっていたようで

ある日、どうしたの?と訊いてくれました。

そんなコトバは初めてで、そんなことを言ってくれる人が

世の中にいるんだと、本気で思いました。

部活での出来事を話しをしたら、

「そんなの許せない、私が言ってあげる!!」

と本気で言ってくれたのです。

私はそんなコトバを言ってくれるだけで充分だし

こうしてYちゃんと一緒に帰れて、話ができるだけで嬉しいんだ

と言いました。

初めて友達の優しさというのを知ったような気がしました。

 

それから毎日、くだらないことを言いながら笑いあったり、

時には帰り道にある神社の境内に座って遅くまで話をしたり

彼女のおかげで本当に楽しい時間を過ごすことができました。

 

彼女とはその時をきっかけに、いまだにお付き合いがあります。

Yちゃんは、当時陸上のハードルの選手で、インターハイも出場していて

体育の本にも掲載されるほど、すごい人でした。

大学では美術系の大学へ進学して、サンリオに就職し

サンリオ製品のデザインに携わり、彼女がデザインしたものが

販売されるという。今思うとすごいことだったんだー!!!

とあとから気が付くバカな私。

記念にもっとたくさん買っておけばよかった。

 

今は私立学校の美術のアシスタントをしていて、

年に一回、吉祥寺などで何人かのメンバーでハンドメイド展みたいな

催しを開いていたりします。その時は必ず遊びに行っていたのですが

今はコロナで開催は出来ず、とても残念です。

 

話は戻りますが、

このYちゃんとの出会いがなければ、中学校生活で本当に楽しいと思えた

瞬間は全くなかったと思います。

 

で、このYちゃんと前回登場した教師になった友達Sくんが

3年生になると、お付き合いするようになるのです。

私はその教師になったSくんの恋愛相談役となっていきます。

お互い繊細すぎて、気を使いすぎて別れてしまう結果になってしまうのですが、

未練たっぷりのSくんの話を昼休みになると私が聞く。という

そんな毎日が始まります。

昼休みに私がSくんのクラスへ行き、廊下にある傘立ての上にのり

毎日二人並んで外を見ながら話しをする。

というのが日課になっていました。

外と言っても、3年生の棟の裏には1・2年生の棟があるので

バスケ部の主将だったSくんは、後輩が多くいて、

私とSくんが付き合っているのかと何人もの後輩から訊かれたそうです。

今思うとその時間もとても楽しかったので、人からみれば

そう見えたかも知れないです。そのくらい仲が良くなっていました。

 

部活動を引退する1か月くらい前になると、私をシカトしてる同級生の5人のメンバー内で

何かイザコザがあったようで、その中の一人の子が新たに標的になりました。

その子がノコノコ私のところへきて

今までのことを謝ってきました。

私は一年間、ずっとシカトされ続けていましたが、

もうどうでもいい話でした。

なにか標的がないとやっていけない卑劣な人間たちなんか、もうどうでもいい話でした。

私を巻き込まないでくれ、それだけです。

もう何もアクションはしません。

話かけられれば、普通に話すし、その子も標的になったことで

人の気持ちがわかる人になってくれればいいなと。

もう二度とそういう卑劣なことはやめてくれればいいなと。そのくらいな気持ちしかありませんでした。

 

私の三年間はツライことと、楽しかったことが両極端過ぎましたが

私の中学生生活は、そんな感じで卒業を迎えることとなりました。

 

私は勉強がキライ。しかも勉強も出来ない。学校がキライ。集団生活が苦手なこと、見事に条件が揃っていましたが、これについては兄には言いませんでした。

でも兄に少しでも早く楽になってもらいたい。

と思ってもいたので、高校に行かないで働きたい。と言ったのですが、絶対にダメだと言われ

泣く泣く高校へ行くことになりましたー。

 

本当に私は悪いものを引き寄せるのが得意としか言いようのない最低の学校、最低のクラスで三年間過ごすコトになりました。

初日で学校を辞めたい。行きたくない。と思わせる場所に通うことになりました。