自分History episode12

~母親が亡くなる瞬間の時の話~

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続きです。

 

ある日、毎日呑んだくれてる母親がもう起き上がれなくなりました。

布団に寝たままです。

どうなっちゃっているのかわかりません。

だけど、寝てる日とかよくあったのでいつものコトだと思っていました。

 

そんなある時、区役所の福祉課の担当のお姉さんとお兄さんが二人で

家へやってきました。

そして、たぶん汚かったであろう、臭かったであろう部屋へあがってきて

母親をみて、

「これは救急車ですね・・」

と言って救急車を呼びました。

その日、そのまま母は入院することになりました。

 

これは私が、昨年初めて姉から聞いた話

この時、母親はずっと起きあがることなくしゃべることなく

いたのだそうです。心配した当時中学2年だった6つ年上の姉が

電話がないので福祉課へ手紙を書いて送ったのだそうです。

 

それから入院生活がはじまりました。

この入院生活の前にも一度、父が入院していた病院に

入院した記憶があります。それもお酒が関係していたのかなぁ。

 

今回の入院は、もう意識がありません。(私の記憶では)

病院もバスで行かなくてはいけないちょっと遠い病院です。

一人でもよく病院へ行ったのを憶えています。

 

ある日、一番上の都内に住んでいた姉がきてくれました。

一緒に母親の病室にいました。

看護婦さんが、母親の鼻についていたチューブを交換しにきました。

苦しそうな母。

看護婦さんは、いつもの業務なので交換もすごい事務的な感じ。

意識のない母親に話しかけることなんてしません。

そのまま行ってしまいました。

私は母親をずっと見ていました。

その時、ちょっといつもと様子が違うのがわかりました。

姉はほかの姉たちと話をしていて、私だけ母をみていました。

ちょっとイヤな予感がしました。

次の瞬間、姉が母をみて

「看護婦さん呼んできて」

と言ったので、急いで呼びに行きました。

 

私がみたのは、天国へ行く瞬間でした。

私たちのいる世界から旅立つ瞬間でした。

 

今思うと、なぜあの時、看護婦さんは数秒後に亡くなる人のことが

わからなかったのでしょう。

看護婦さんが出ていった、ほんの数秒後の出来事だったのに。

よく危篤の人がつける心拍数とかわかるものなど、

一つも付けられていませんでした。

 

まぁ、それがわかったところで、助かったわけではないので

どうでもいいんですけど、ちょっと今思うと不思議な話だな、と。

 

母親のお葬式です。

父親の時と違い、静かな葬儀でした。

だけど、私は泣かなかったような気がします。

そんな私をみて、大人たちはどう思ったでしょうか。

 

都内に住む一番上の姉、

都内に住んでいる兄、

残された小学生2人と中学生一人。

 

親戚たちとどんな話合いになったかわかりません。

私たちを養女に出せだのなんだの、言われたに違いありません。

 

だけど、私と10歳、歳が離れている兄がすべてを引き払って

私たち妹3人の面倒を見る。と言ったそうです。

そして、生活保護も打ち切って全部自分で働いて面倒をみる。

と言ったそうです。

親戚はみな反対したそうですが、兄は引かなかったそうです。

 

そうすると今度、生活保護を打ち切ることを聞いた家の大家さんが

「出てってくれ」と言い出しました。

 

ここからたくさんの

「波乱万丈」が始まります。