自分History episode11

~生きる意味を初めて考えた幼少期~

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前回の続きです。

この頃から「生きる意味」を漠然と考えるようになった様な気がします。

なんで、この人は(母親)私を産んだんだろう

なんのために5人も子どもを産んだの?

母親にとって生きる意味は父親だけだったのだろうか

私たちよりお酒が好きな母親

無力な私たちは、世間の冷たい目、冷たいコトバ、

よくわからないけど、生きていくのがツラくなっていきます。

 

兄姉しか味方がいない感じ・・

誰も助けてなんてくれない

他はみんな敵

そんな感覚・・。

 

父親が亡くなってから、

ある日、

私は傘を買ってもらったことがありました

嬉しかったです。

そしてある雨の日、通学途中に同級生の男の子が

いきなり私の傘を奪い

「こんな傘!!折ってやる!」

と言って地面に何度も叩きつけ

曲げてしまったのです。

そういう時、私は傘が折られたコトよりも

お金がないことを知っていた私は

買ってくれた親に対して申し訳なく思ってしまう子でした。

あんな親だけど、私のことを思って買ってくれたに違いないって。

 

それを担任の先生に勇気を出して、

「先生、私の傘あの子に折られちゃったんだよ、

先生!あの子のこと叱って!」と必死に言ったのを憶えています。

でもその日、その時、登校班ごとに下校するために

全生徒が校庭に集合する。というタイミングの時だったのです。

早歩きの先生の横で必死に訴える私。

だけど、先生の目は私ではなく、その集合状況を確認していて

最後まで私に顔をむけることなく、並び始めている生徒たちの方へ

行ってしまいました。

 

大人から見たら、タイミング悪すぎっ。というタイミングでした。

だけど、子どもの私にはわかりません。言葉を発すること自体が

すごい勇気でしたから。

 

こんな感じで何もかもが敵のような

私の心はどんどん孤立していきました。

 

遠足とか運動会とかどうしていたのかすら

憶えていません。

たぶん他の人たちは、「楽しい思い出」として

胸に刻んでいるんでしょうね。

遠足のお弁当とか運動会のお弁当とか

どうしていたんだっけ。

 

私が記憶にあるのは

遠足や何かイベントなどやるときに

グループを決めるときに、必ず先生は

「好きな子同志で」というのです。

私にとって、地獄のコトバ「好きな子同志」。。。

 

私を好きな子なんていません。

決まって私はポツーンと一人たたずんでしまいます。

教室の隅っこで一人立っています。

それを先生は毎回見てるハズなのに

必ず言います。

「好きな子同志」って・・・。

 

大人になった私はやっぱり

その時の自分を抱きしめてあげたくなります。