自分History episode8

~どんだけ貧乏なんだの話~

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前回の続きです。

 

父が亡くなってからのことも

私は断片的にしか憶えていません。

だけど

父が亡くなってからの母と言えば

お酒ばっかり呑んでいて

家のことをやってもらった覚えがあまりないのです。

母親が作ってくれた手料理は?

と聞かれても、思い当たるものがありません。

どんな料理が上手だったのか、どんな料理が美味しかったとか

記憶にありません。

しいて言うのなら

母親は北海道の人間なので、

魚のホッケとかにしんをよく食べた記憶があります。(料理じゃないし)

この前、兄に聞いたら、確かによく食卓に出ていたと

言っていました。

よく食べていたせいか今でも好きでよく食べます。

 

そんな中、母が私をすごく褒めてくれたことが一度ありました。

私は小さい頃からよく風邪をひく子どもで

毎月のように熱を出していたんです。

父親が入院していた病院が私のかかりつけでもありました。

当時住んでいた駅を超えて、病院に行くのですが

その駅を超えるには、歩道橋を越えなければなりません。

そこを超えるとひたすら下り坂です。

きっと熱がある私が歩いていくには、しんどいだろうと

母は思ったんだと思います。途中

「おんぶしてあげるよ。」

と言ってくれました。

でも、私はその時

「ううん、いいよ大丈夫、歩いていけるよ」

と言ったのです。

 

後々、その時のことを

えらかったねー。

って何度も言っていたのを憶えています。

 

その時のことは私もちゃんと憶えていて

母親はすごい細身なんです

だから、自分をおんぶしたらお母さんが大変だろうなー

って思ったのです。

 

だけど、そのエピソードが唯一の褒められた記憶かも知れないなー。

 

それと熱を出すと必ずこれ飲みなさい

と言って出してくるのが「じつぼうさん」という飲み物。

これを調べると漢方のようです。

当時の私はそんなこと知ったこっちゃありません。

これを湯呑みいっぱい入れて飲めというのだけれど

その独特な臭いと味がどうしてもダメで

1時間経っても、ちょっとも減らない湯呑みをみて

「あんたは強情だねっ!」と言って

頭をぱーん!っとよくひっぱたかれていました。

その「じつぼうさん」が当時の私にどんな効果を

もたらしたかはわかりませんが、

母親にしてみれば、

毎月熱は出すし、飲めと言っても絶対口を開けないし

手のかかる子だったのかも知れませんね。

よく強情っぱり。と言われてましたねー。

 

あと、熱を出して寝ていた私に作ってくれた

お粥が腐っていた。っていうコトもありました。

だけど、母親は酔っぱらっていたので

腐ってるってこともわからないで、作っていたんですよね

 

我が家にはレンジっていうのがありませんでした。

当時、どれだけ電子レンジというのが普及していたかはわかりません。

なので、ご飯は電気釜に入れっぱなしが多かったので

日が経つとご飯が黄色っぽくなります。

もうそろそろヤバいっていうのが子どもながらに

分かります。

そんなご飯をよく食べていました。

残ってしまったご飯はそのお釜に残ったやつか

冷蔵庫に入れてしまえば、冷たいご飯をそのまま食べる。

そんな感じでした。

 

レンジもない

洗濯機もない

湯沸かし器もない。

電話もない。

 

以前も書いたと思いますが、お風呂場はコンクリート

囲まれていて寒いんです。

お風呂場なのに、寒いって、、笑

そんなお風呂場で、洗濯板を使って手で洗ったような記憶があります。

真冬はすごく冷たい水でお茶碗も洗濯物も洗っていました。

手と足はあかぎれ、しもやけ、本当にすごかったです。

だから、時々姉たちとお湯を沸かしてお水で調整して

ちょうどいいくらいのお湯を洗面器に入れ

姉たちと順番に両手を入れて

「あったか~い」って言ってやっていました。

 

そして電話は・・・

うちの前の家の同級生の子の家が取り次いでくれていました。

だから、電話番号を人に言う時は

「家には電話がないので、こちらの○○○さんのお宅に取り次いで

もらっています」

と言って、その同級生の子の家の電話番号を教えなければなりませんでした。

みじめです。本当に。

 

あー、こうして書いていると

忘れていたことを色々思い出してきます。

ろくな思い出じゃないですね。

 

改めてすごい貧乏だったんだなーって思います。

貧乏生活、まだまだまだ続きます。